■シャクシャインの孫

孫娘については創作です。
庄太夫の娘。ちなみに名前はマノカ。カケキヨと同い年。





■1668年 4月21日

自分のチャシに帰ろうとしたオニビシのもとに、金堀の和人がやってきて弟の殺害を知らされ、彼は文四郎の館へ引き返します。
オニビシが文四郎の館へ引き返したのを見たシャクシャイン勢は50人ばかりで文四郎の館を囲み、文四郎にオニビシを引き渡すよう要求します。
文四郎は「償いを出すから堪忍してやってもらいたい」と願い出ましたが、聞き入れられず「出さなければ館ごと燃やす」と脅されてしまいます。





■オニビシの最期

マンガの中ではいつもの服装ですが、記録によるとオニビシは文四郎(あるいはその仲間)から矢避けの着物を渡され、それを着込んで表に出たそうな。
で、表に出たところから毒矢に斃れるまで、創作に見えるけど、創作に見えるけれど、これ……半実話なんだぜ……。

表に出たオニビシは、武器を手にする50人ものシャクシャイン勢を見て「こんなことでは家から出たくとも出られないから、少し道を開けたらどうだ」と叫び、そのとおり道を開けられたので駆け出したという。ここで赤崎はオニビシに惚れた。
マンガの中では開けた先にシャクシャインが居ますが、実際はシャクシャインたちが来ていたかどうかは不明。そうなると駆け出した理由も不明だけれど、生き残れる望みを捨てていなかったのと、自分がおとりになって子どもを逃がしたかったのかもしれない。

オニビシは槍で腿を突かれ、それを刀で切り折り、なおも走りますが、雨のように射られた毒矢によってついに果ててしまいます。
そのあとのシャクシャインとのやりとりは創作になります。キラッ



■カケキヨ

マンガではおおいに省きましたが、文四郎の館へ一緒に来ていた子どもはオニビシが果てたあと、シャクシャイン勢から引き渡すように言われ、文四郎側は「子どもなのだから勘弁してほしい」といい、シャクシャイン勢もそれに同意して子どもは逃がされたそうな。
逃げた子どもは母親のところへ行き、シャクシャイン勢が来ることを知らせ、シャクシャイン勢が攻めてくるころには誰もいなかった上に諸道具も残っていなかったらしい。

文四郎の館へ来ていた子どもについては前述(“1668年 4月20日”の項)の通り名前が出てきませんが、マンガでは今後の都合上カケキヨになっています。





■形見について

アイヌではあまり形見を持つ風習がありませんでした。
理由はハロウの言うとおり「自分のものを忘れたと思って、死人の魂が戻ってくる」から。いたずらに死んだ人間の名前を呼ばないのもこのため。
死人は生きた人間の魂を連れていってしまうと考えられていたので、怖れられる存在だったんですね。




■次回

シブチャリ紛争はオニビシの死を境に後期へと向かいます。
対松前蜂起までの約一年という、前期の20年に比べると極端に短い後期ですが、前期以上に戦闘も多く、激しいものと記録されています。
また、和人の面々も登場回数が増えてくるのでもっともっと勉強しておきたいです。


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