■カンリリカの交渉

ツカコボシ殺害事件の償いについて、シャクシャインの息子であるカンリリカはオニビシとの交渉の場に出ます。
しかし埒が明かず、償い交渉に進展はありませんでした。ついにオニビシは配下の者90人ばかりを連れてシャクシャインのチャシへ攻めようとします。

赤崎版オニビシとカンリリカが幼馴染風なのはこのあたりが発端。仲良くさせすぎて申し訳ないくらい(笑)





■文四郎の介入

金山坑首、文四郎。移住年は去年(1666年)としていますが実際は不明。
松前から使わされた金堀で、食糧難をアイヌに助けられたそうな。のちにオニビシ方へ味方するので、彼を助けたアイヌはハエクルだった可能性は十分あるけれど、詳細は不明。

オニビシが配下90人を連れてシャクシャインの住居に押寄せてきたところを文四郎が割って入り、オニビシに対しては「松前との約束もあるし、戦ったところで死人が帰ってくるわけではない」といい、シャクシャインには「少しでも償いを出してとりあえずの和解をしたほうがいい」と言って、戦いを回避させたとか。マンガの中ではおもっくそ戦わせてしまいました。これまたやっちまったな。

それから文四郎はシャクシャインから和睦を誓う宝刀を預かり、松前へ行きますが、宝刀は金山関係者に渡し、紛争のことよりも金山の話ばかりをして戻ったという。
そしてシャクシャインに対して、松前と相談してもいないのに松前の意向であるかのように償いを出すようすすめ、結果、文四郎は中立のふりをしてオニビシに味方する立場となり、シャクシャインは文四郎に対して懐疑的になります。アイヌの紛争の仲介役をすることで松前のお気に入りになり、金山で儲けようとしていたという説もある。

マンガの庄太夫と文四郎のやりとりは創作です。



■天災の続いた1667年

マンガを描き終えてから知ったことですが、この時代は火山が活発だったようで前述の1640年の駒ヶ岳噴火、1663年には有珠山が、そして1667年の樽前山噴火と赤崎が知るだけで噴火が三回。
今回は樽前山の噴火のみにスポットを当てていますが、火山活動が原因で松前藩もアイヌも、慢性的な食糧難や経済難が起きていたのではないかと邪推してしまう。

そして樽前山の噴火があったこの年の冬は大雪であったとか。
シブチャリは北海道の中でも雪の少ないほうですが、文四郎は12月にシブチャリを発って翌年の2月に戻ってくるのを考えると、大雪が関係していたのかもしれない。食糧難も厳しくなっていたのではないかと予想。





■1668年 4月20日

シャクシャインのチャシといえば、静内真歌の海へ突き出た丘のチャシが有名ですが、シャクシャインもオニビシもチャシを複数所有しており、シブチャリ川の中流にはシャクシャインの警戒用チャシがあったそうな。
文四郎の館があったといわれるメナチャシの対岸にそのシャクシャインのチャシがあったらしく、文四郎の館へ来るオニビシの姿が丸見えだったとか。

この日、オニビシはシャクシャインの償いについて相談するため、子どもを連れて(カケキヨかは不明)、文四郎の館を訪れます。それからオニビシは文四郎の館を去り、万三郎という金堀の家で一泊することになりますが、その晩のうちにシャクシャインは配下10人ばかりをオニビシのチャシに向かわせ、オニビシの弟二人を殺害させます。





■チメンバとウェンシルシ

三つ編みがチメンバ。幌別出身。
彼はシャクシャインの側近だったと思われ、後志地方に兄弟がいたという。対松前蜂起時に情報伝達の役を担い、道南方面へ行ったひと。

十字傷がウェンシルシ。新冠出身。
彼も対松前蜂起時に情報伝達の役目を担い、道東方面へ行ったひと。シブチャリ紛争後期において重要な役割を果たした人物。
メナシクルの一人でありながらハエクルにも理解があったらしい。彼の名前は直訳すると“悪い印”で、安直な発想で彼の額に悪い印の代表格、十字傷が。ががが。

この二人もチクナシやハロウ同様、後期編での重要人物なのでちらりと。
マンガでは二人と庄太夫でオニビシが文四郎の館へ行くのを発見したことになっていますが、創作になります。


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