■1665年・再び和睦、財政危機だった松前 シャクシャインとオニビシの不仲を聞きつけた松前が再び介入し、和睦を成立させます。やってきたのが下国内記かは不明(笑) “メナシクルとハエクルが戦いに至ったそもそもの理由”で触れたとおり、松前藩の財源は金、鷹、アイヌとの交易品、アイヌと交易しようとする本州人からとる税でした。 しかし相次ぐ火山の噴火と、金山とその地元アイヌの摩擦によって収入減に拍車がかかります。 ※1640年の駒ヶ岳噴火の三年後、1643年には金山のトラブルで渡島地域のアイヌと衝突したことがあり(ヘナウケの戦いと呼ばれ、勝敗はつかなかった)。 表立った記録はほとんどないにせよ、金の存在は松前にとってかなり重要であった気がしてならない。 ■1667年・樽前山の大噴火 8月6日の晩から鳴動が聞こえ、12日に噴火したらしい。 樽前山は噴火を重ねてカルデラや溶岩ドームを作り、現在の形になったと言われています。当時の樽前山は現在の形になる前であり、この噴火の次の噴火で現在のカルデラが形成されたそうな。 噴火はプリニー式と呼ばれる噴火で、噴煙を高く吹き上げるもの。噴煙は上空の成層圏まで到達し、北海道の半分の地域に降灰、樽前山に近い苫小牧では1m〜2mもの灰が積もったといい、噴火口から海に向って溶岩も流れたそうで、かなり大規模な噴火でした。 この噴火が松前にもアイヌたちにも大打撃を与えたと赤崎は思うのですが、シャクシャインの戦いを調べようとすると、火山の噴火にはあまり触れられていなくて、「はて?」と思う。 ■ツカコボシ殺害事件 ハエクルの一人、ツカコボシ(あるいはその甥)という人物がメナシクル領である浦河で鶴を二羽生け捕りました(あるいは捕らせて欲しいとシャクシャインに願い出る)。シャクシャインは彼を呼んで交渉も兼ねていたらしい宴を開きますが、口論になった末に殺してしまいます。 記録によってはシャクシャインではなく、カンリリカが殺害したとなっていますが、『アイヌ史を見つめて』の平山氏は、カンリリカは後にツカコボシ殺害についてオニビシの元へ償い品の交渉しに行っているため、殺害した本人が赴くことはないだろうと説いており、赤崎もこれにのっとってここはシャクシャインで。 ツカコボシが殺され、彼の仲間がオニビシに仇を討つよう何度も頼みに来ます。 しかしオニビシは武力ではなくまずは償いをもって解決しようとし、「三百品の償いを出せばゆるす、そうでなければ潰す」とシャクシャインのもとへ使いを送りますが、なかなか返事をもらえませんでした。 カンリリカがツカコボシを殺した説では、カンリリカが不在なので返事を待ってほしいと言われ続けたとか。 ■チクナシとハロウ マンガの中でちらちら出てきているポニーテールの男、チクナシ。 彼はオニビシの甥にあたり、オニビシ亡きあとのハエクルを束ねる存在。火縄銃の名手。彼の母親がオニビシの姉妹と見られ、ちょっと血の気が多い様子。 オニビシに堂々意見する男はピポク(新冠)の首長ハロウ。 オニビシの従弟にあたるという。オニビシの亡くなった1668年で24〜25歳という記録あり。よってこの時点で23〜24歳、オニビシより15歳年下。 このページでのオニビシとハロウのやりとりは創作ですが、チクナシとハロウはシブチャリ紛争後期編の重要人物のため、ちらりと出しました。 ■チセの描きまちがい 実はこのチセ(アイヌ伝統家屋)に描き忘れがあって、炉棚がありません。 通常、チセには囲炉裏の上には棚が設けられており、多少の食料と食器が置かれています。 マンガの中に出てくるチセ全部に炉棚がなくて、やっちまた感ばりばり。すみませんでした。 [解説トップへ] |