■1648年 シャクシャインがオニビシ配下の者を殺害する

メナシクルの脇乙名シャクシャインとハエクルの乙名オニビシは、この事件があるまではそう仲が悪くなかったという。この事件があったときも酒を呑み合う席での出来事で、シャクシャインはメナシクルの悪口をオニビシ配下の者に言われて殺害に至ったそうな。
オニビシは償いを要求しますがシャクシャインはその対応に渋ったため、ついには戦へと発展し、お互いの勢力に死傷者が多数出てしまいます。

赤崎としては、“だれそれの配下の者”というのが気になってしゃーない。
これ以降も出てきますが、シャクシャイン本人やオニビシ本人が事件を起こすことより、彼らの配下の者が事件を起こすことがままあります。彼らの配下が勝手する様を見ると、シャクシャインもオニビシも乙名という立場を松前に与えられ、交易の代表者だったのであって、特別アイヌのリーダーってわけでもなかったんじゃないかとも考えてしまう。

ちなみに、シャクシャインの戦いは規模が大きなものと思われがちですが、オニビシとの戦いにいたっては、シブチャリ川の下流域にシャクシャインらの住居があり、上流域にオニビシらの住居があったので、距離にして約20km。意外と近い。



■シャクシャインとオニビシの年齢

シャクシャインは対松前蜂起をした1669年で64歳前後というのを信用するならこの時点で43歳ということになり、オニビシの年齢は後から出てくる1653年の記録から25歳だと判明するため、ここでは20歳ということになります。
約23歳差、親子ほど年齢が離れていたんですねえ。





■1653年 オニビシ配下の者がカモクタインを殺害する

きました“配下の者が”。
そして赤崎の私見ですが、カモクタインは抗争の被害者だと思っています。よってマンガの中でオニビシは「殺害を指示していない」などと言い、カモクタインに対し好意的な態度をとらせています。
オニビシ本人にはそれほど対立意識がなかったが、シャクシャインが乱暴を働いたことでハエクルがいよいよメナシクルを敵とみなし、メナシクルへ対応のぬるいオニビシを無視してカモクタインを殺害するに至ったのでは、と妄想。オニビシは好戦的ではなかった雰囲気。





■カモクタインについて

ぽっと出て即退場したかもっさんですが、なかなかの重要人物です。

まず、シャクシャインの前任者であったこと。マンガの1ページ目にもあるとおり、シャクシャインがオニビシの配下を殺した1548年の時点でメナシクルの乙名にカモクタイン、脇乙名にシャクシャインがあり、ハエクルの乙名にオニビシがいました。

次に彼の家族。前述の記録とよく併記されているのが、カモクタインの父センタインがメナシクルの首長であったときからオニビシとの抗争があったということ。
センタインは豪勇な人物であったと言われ、メナシクル・ハエクル関係なく物品や食糧を分けていたそうな。それがもとでハエクルの猟場にセンタインが無断で入って狩りをしても文句が言えなかったとか。
彼の死後、カモクタインが後を継ぎますが、そのあたりの年代が不明なため、カモクタインの年齢は分かりません。赤崎版カモクタインはシャクシャインより年上に描いていますが、オニビシなみに若かったとしても不自然ではありません。

そして姉が強烈な人だった。
カモクタインが殺害されたことを恨みに思い、シャクシャインへオニビシを討つように何度も何度も言ったそうな。カモクタインが大切な弟だったのか、それともカモクタインや父センタインが首長だったことによる権威や富の喪失が悔しかっただけなのか。赤崎は後者だと思ってる。

ちなみにカモクタインの祖父の代に十勝から移住してきたとか。日高は十勝との因縁が色濃い。いやまじで。



■メナシクルとハエクルが戦いに至ったそもそもの理由

・ひとつめの理由、狩猟場争い。

マンガの中では後半まで触れられていませんでしたが、当時のアイヌにとって和人との交易というのは生活に欠かせないものとなっており、アイヌは干鮭や毛皮、大陸からもたされた衣類“蝦夷錦(または山丹服)”などを交易品として出し、和人から酒や米、布類、鉄製品などを得ていました。
丁度彼らの時代、松前藩は貧乏になりかけており、アイヌからの出品数を吊り上げ、松前側から差し出す品の数が減り出した時期でした。

彼らの時代のもっと前、1550年代に松前側(当時は福山)とアイヌの間で協定が結ばれ、交易の平等が保たれた時期もありましたが、後に松前がアイヌとの交易権を独占するようになると、じんわりと松前側が悪政を行うようになります。
もともとはアイヌと本州人が自由に行き来して交易が行われていましたが、独占権を得た松前がそれを禁止し、本州人からは税をとるようになり、北海道内での交易場所を限定していきます。これがいわゆる「商場知行制」というもの。

松前では幕府に納める米がとれないため、代わりに金や鷹、アイヌとの交易品が納められていましたが、足りない分は本州の商人から借金をしていたそうな。それが財政難を呼び、アイヌに対して交易品の吊り上げが行われ、自由交易が出来なくなったアイヌ側は出品数を増やすため仕方なしに狩りを多く行わなければならず、そのために猟場争いに発展、武力抗争にまで発展してしまった、というのが戦いのひとつの理由。

この『シブチャリ紛争前期編』を書き終わってから知ったのですが、1640年に渡島地方にある駒ヶ岳が噴火していたとのこと。松前はこの近くだったため被災したものと思われ、さらにその三年後には近隣アイヌと金山のことで戦いが起きており、これらがアイヌとの交易品を吊り上げる一因となった可能性があります。


・ふたつめの理由、文化理解の違い。

オニビシは和人に理解があって新しい文化を容認するアイヌ、いわゆる改革派であり、シャクシャインは伝統を重んじる保守派であったそうな。
しかしこのふたつめの理由、赤崎としては若干疑問があります。オニビシの改革派というのは理解できるのですが、シャクシャインの保守派というのは違う気がする。カモクタインの代までは保守派だったかもしれませんが、他方から移住してきたシャクシャインは違ったのでは、というのが赤崎の考え。


・みっつめの理由、妬み。

完全に赤崎の妄想です。カモクタインの父であるセンタインはメナシクル・ハエクル分け隔てなく富を分配したという豪勇の持ち主。それを妬みに思った連中がハエクルにいたんじゃないか、と。戦いの決定打にはならないにしろ、そういうのもあったんじゃないかなー。


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