■ハエクルの軍事力

どういうわけかハエクルは常にメナシクルより軍事力があり、優勢の立場にありました。
これは多分に、オニビシの姉が嫁いだ先である沙流のアイヌことサルンクルが後ろにいたのと、ハエクルの住んでいたあたりは金山の近くであり、和人も多かったと考えられ、和人との流通がメナシクルよりも盛んであったことが要因と思われます。今でも静内では、海側のアイヌ(メナシクル)より山側のアイヌ(ハエクル)のほうが豊かな暮らしをしていた、と言われるほど。

オニビシのチャシは金山の近くにあり、金堀を守るため松前と同盟を結んでいた、という学者の推測もある。





■シャクシャインの出生地

前述にあったようにシャクシャインは他方からの移住者です。
『アイヌ史をみつめて』によるとシャクシャインは静内より東側の襟裳で“いたづら”をしたので、金山奉行に移住を促され、シブチャリ(静内)へとやってきたとのこと。

シャクシャインの妹は釧路のほうへ嫁いでおり、襟裳からの移住を促されたときシャクシャインと一緒に居たらしい彼の弟(名前はリックスアイヌともトンキヤマとも諸説あり)は、妹のいる釧路へ行ったという記録もあるようです。移住年は不明。
しかしシャクシャインはシブチャリに移住してくると、家が用意され、メナシクル一派に客将として扱われた面もあったらしい。悪ささえしなければそこそこの能力者であったかもしれない。





■ツノウシ

浦河の長とされる、ツノウシ。
襟裳へ逃亡しようとするシャクシャインをいさめたり、十人ほどを連れて鹿狩りへ出掛けたり、シブチャリ紛争後期ではメナシクル側の大将を務めたり、シブリャリ篭城戦に参加していた風だったり、シャクシャインの戦いの資料にも度々現れる彼は、シャクシャインと友人だったのかもしれない。





■1653年 松前の介入

カモクタイン殺害のあった1653年、アイヌ同士の抗争に危機感を抱いた松前が調停役を買って出ます。記録によっては何度も調停に入ったが聞き入れられなかったとも。

このとき派遣されたのは佐藤権左衛門(さとうごんざえもん)と下国内記広季(しものくにないきひろすえ)。彼らはシャクシャインとオニビシに宝を出し合って和睦するよう勧め、二度と争わないよう約束させることに成功します。そして松前から多少の食糧と物品を出し、松前の指示に従うようにも言ったそうな。

カモクタインを始め、軍事力も結束力も失っていたであろうシャクシャイン勢は松前の介入によって、壊滅を逃れることとなります。松前に対して一応の恩が出来たんですな。うん、なにかがおかしい。


■オニビシが和睦に応じた理由

総力を出せばシャクシャイン勢を討ち滅ぼすことも可能だったはずの当時のオニビシ勢が、和睦に応じたのはシャクシャインを見下していたから、というのと松前に寄りやすくするためだという説があります。

赤崎の私見ではその二つの理由に加えて、シャクシャインが親戚だったことも大きな要因だったのではないかと思っています。
先述のようにハエクル殺害があるまでは仲がよく、後に述べるようにシャクシャインの嫁さんはハエクルの出身であり、その嫁さんはオニビシの兄弟の嫁さんと血縁者なので、婚姻関係を経て親戚のつながりがあったわけです。
この親戚関係が後の対松前蜂起の際、対立していたはずのメナシクルとハエクルが同盟を結ぶ要因にもなっているため、この時点でオニビシが和睦に応じた理由のひとつとして十分あり得ると考えています。

……オニビシがシャクシャインに父親らしさを感じていた……とかだったら燃えるのに。ねーよ。

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